053719 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

ターザンひでおのHP

ターザンひでおのHP

その1

私が宇宙を目指すようになったのは、大学受験を控えた高校3年生の頃だった。
それまで部活(野球)のことしか頭に無く、志望する大学や学部も決めていなか
った私は、将来どんな仕事をしたいか何になりたいかという事を考えた。

そこで、思いついたのが、「プロ野球選手」と「宇宙飛行士」だった。(笑)
今思うとまるで小学生の卒業文集レベルなのでとても恥ずかしい。

とはいっても、プロ野球選手になると言ってもプロ野球のドラフトにかかるほど
の有名選手ではないし、実力も無い。となるとプロテスト。しかも、そのときは
ピッチャー(今まで一度もやったことが無い)になりたかったので、とりあえず
大学の野球部に入って練習するしかないなと考えた。家庭事情を考えると、私立
大に行って金銭的に親に負担をかけたくはなかったので国立に行くことを考えて
いた。この時点で野球名門校は選択肢の外になったので、「プロ野球選手」とい
うお題では進学先が絞れないことに気がついた。

次に「宇宙飛行士」。まずどうして私が宇宙飛行士になりたいと思ったか?自分
でもよくわからない。でも、「宇宙戦艦ヤマト」や「ガンダム」を見て育った影
響は少なくないと思う。記憶があいまいだが、当時は秋山さんが旧ソ連のソユー
ズでミールに行ったり、毛利さん達が日本人初のスペースシャトル搭乗員候補と
して選ばれたりして、宇宙に対する関心が高まっていたせいもあったと思う。夜
遅い時間帯にNHKスペシャルで宇宙創造みたいな番組を見ていた記憶もある。

とにかく、暗い宇宙の中に青い地球が浮かんでいる映像が当時も今も頭に焼き付
いて離れない。「一度でいいからあの映像を生で見てみたい。」と思ったのは確
かである。

それに加え当時は(これも記憶があいまいだが)湾岸戦争やイスラエルの宗教戦
争が盛んに報道されており、「なぜ殺しあうのか?」と疑問に感じていたそして、

「明治維新で外的の到来によって日本と言う一つの国家としての意識が高まった
ように、人がもっと宇宙に行くようになれば、一つの地球という意識が高まり、
世界から争いは無くなるのではないか?環境破壊もやめるのではないか?」

と強く感じていた。

宇宙への思いを語るときはいつも、当時、教室の窓から、夏強い日差し中の青空
と流れ行く雲をながめセミの鳴き声を聞き、心地よい風を感じながらそんな未熟
な夢を見ていた事がとてもリアルに思い出される。

しかし宇宙飛行士になる方法なんてもっとわからない。とりあえず進学相談所み
たいなところに質問の手紙を出した。答えは「とりあえず理系の学部を卒業しな
さい」とのこと。なんの手助けにもならない。そこで日本で宇宙関係の事をやっ
ている大学を探す事にした。自分の偏差値で行けそうな所は、横浜国立大学の生
産工学科と都立科学技術大学。この二つを受ける事にした。

が、母親の反対で都立科学技術大学を受けるのをやめた。反対の理由は「そんな
専門学校みたいなとこ出たら、つぶしがきかない」だった。別につぶしのきく人
間になるつもりは無かったが、すでに第1志望の横浜国立大学に合格した気分で
いたので、第2志望なんてどうでも良いやと思い、母親の進めのままに兄の在学
中の大学を受ける事にした。当然、宇宙も航空も無かったので、専門は「電気」。
当時コンピュータに興味があったのと苦手な英語が試験科目に無い事を理由に電
気にした。

が、思惑は見事にはずれ、この兄が在学中の某国立大学の電気課に行く事になった。

大学では当然のように野球部に入ったが、肩や肘を痛めてしまった事もあり、1年
で退部。これで完全に宙ぶらりんになってしまった私は、人生の意味なんてもの
を考え始めたりした。まあ、ありがちなんだと思うけど、この手の事を考え始め
るとあまり建設的なほうには行かない。しまいには某宗教団体とお付き合いする
ようになったりした。しかし、これが、意外とよかった。人間の存在意義につい
て他人の意見を聞いたり、今まで否定してきた神という存在をまがりなりにも信
じた事で、人生に対して前向きになれた。

そして、この時「やっぱり宇宙飛行士になりたい!もしなれなくてもいいから本
場のアメリカで勉強してみたい!」という発想が生まれた。

それからは少しでも留学資金を作るためと英語の勉強資金を貯めるためにバイト
をやった。語学学校にも通った。それまで英語の授業は大嫌いだったが、語学学
校は楽しかった。目的が明確だった事もあり、短期間に結構上達した。(と、当
時は思っていた。のちにこの自身は粉々に砕かれことになるが…)

そして、卒業を間近に控え親に今後の進路を聞かれた時、アメリカ行きのことを
話すと、以外にもあっさりOKしてくれた。金銭的にも支援してくれると言う事
なのでほぼ実現が確実になった。この頃には兄が就職し家計も少し楽になってい
た事もあるのだろうが、私のわがままをかなえてくれた両親には今もとても感謝
している。

卒業後はアメリカの大学院に願書を出したり、TOEFLのテストを受けたり、
バイトしたりという日々が続いたが、アメリカの大学院からは一向に連絡が来ない。

もともと、短気で単細胞な私は「現地に行ったほうが早い」と思い、宇宙関連で
わりと有名なテキサス州立大学オースチン校があるオースチンの語学学校に行く
事にした。こんな片田舎なら日本人も少なくて英語の勉強にも最適だろうと思っ
ていた。この時私はまだアメリカには南部訛りがあると言う事を知らない。(笑)

つづく


© Rakuten Group, Inc.